M&A指針と取引価格

2019年、経済産業省より、公正なM&Aの在り方に関する指針(M&A指針)が公表され、支配株主による従属会社の買収やMBOなど、買収対象会社の利益と支配株主の利益が一致し、買収対象会社と株主の利益が一致しないM&A(構造的な利益相反の問題を伴うM&A)において、「取引プロセス」を充実させる動きが目立つ。たしかに、様々な論者が、M&A指針公表後、買収対象会社の取締役会が特別委員会を設置し、第三者評価機関からバリュエーションを取得するケースが増加していると報告している。

しかし、「取引価格」はどうだろうか。早稲田大学ビジネススクールの鈴木一功教授が証券アナリストジャーナル59巻6号で「新MBO指針の企業価値評価実務への影響に関する考察」と題する記事で東証の開示が強化された2013年7月から2021年1月末までの構造的な利益相反の問題を伴うM&A112件(M&A指針公表前65件、公表後47件)をサンプルに分析を行っている。

詳細は、記事を読んで欲しいが、注目すべきは、「取引価格」のプレミアムの平均値は、M&A指針後に有意に増加しているものの、この増加は主に競争的買収によって「取引価格」が競り上げられた部分の影響が大きく、一般株主に支払われるプレミアムが、全般的に増加したはいえないことである。

M&A指針では、構造的な利益相反の問題を伴うM&Aは「一般株主に不利な取引条件で M&A が行われること」を懸念し(2.1.2)、こうならないための「取引プロセス」のベストプラクティスを提案している。しかし、「取引価格」の改善は今のところみられない。

M&A指針は、会社サイドの委員だけでなく、投資家サイドの委員も加わり、活発な議論に基づき策定された指針とえいえる。しかし、「取引プロセス」はそれに関与する専門家(弁護士や第三者評価機関など)に不断の努力が求められるところ、その専門家は買収対象会社の取締役会や特別委員会から雇われているのが現実である。「一般株主に不利な取引条件で M&A が行われること」を解消するためには、競合的買収の環境を整備するほかないように思われる。

フィデューシャリーアドバイザーズ株式会社 吉村一男

Commentary

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