ビジネススクールでの気づき

先日、ビジネススクールのバリュエーションの講義にコメンテーターとして参加させていただく機会を得た。講義は最終回で、自らのチームで選んだ上場会社をこれまでの講義で学んだ知識を総動員してバリュエーションを行い、株式価値と株価に乖離がある場合には、その乖離を是正するための提案を行うというもの。学生は事業会社の方、金融機関の方、コンサルティング会社の方など社会人。

まずは、評価対象会社の過去の業績分析。財務諸表の再構成と投下資産の計算、NOPLATの計算、フリーキャッシュフローの計算、ROICの要素分解と過去業績の詳細な分析・評価を行う。ROICの要素分解を行うと、評価対象会社のバリュードライバーや課題が概ね分かる。これが分かると将来業績の分析が行いやすくなる。

ROICは、一連のコーポレートガバナンス改革でお馴染みとなったが、投下資産利益率。ROICと株式累積リターンとの関係には相関関係があるため、利に適った指標といえる。そのROICであるが、みさき投資の中神康議氏は、ROICを含む資本生産性指標間に「ROE≧ROIC≧ROA>WACC」という関係が成立していることが理想という(「投資家が求める企業価値向上と資本コスト」参照)。そして、この関係を見ると、調達した平均調達コストを上回る生産性があるか、BSに余剰資産が溜まっていないか、事業特性に応じたレバレッジがかかっているか、分かるという。学生の皆さんが選んだ評価対象会社には、ROIC>ROAであるものの、その乖離が大きい会社が多かった。これは、BSに余剰資産が溜まっていることを意味する。また、ROE<ROICの会社もあった。これは、自己資本が厚すぎる(事業特性に応じたレバレッジがかかっていない)ことを意味する。

次に、評価対象会社の将来の業績とキャッシュフローの予測。将来予測の期間と詳細検討、戦略的見通しの立案、戦略的見通しの業績予測への転換、予測フリーキャッシュフローの算定、複数業績予測シナリオの作成と戦略的見通しとの一貫性のチェックを行う。最も重要なのが、戦略的見通しの立案。3C分析、5Forces分析、バリューチェーン分析、PEST分析などのお馴染みのフレームワークを用いて行う。これを行うと、評価対象会社のインダストリー・エコノミクス(事業経済性)が概ね分かる。

インダストリー・エコノミクスは、経営共創基盤の冨山和彦氏が昔からよく紹介しているが(「苦労して、たくさん失敗して、そこから何かを学んでください」参照)、儲けの仕組み。これは4種類(規模型事業、分散型事業、特化型事業、手詰型事業)しかなく、これによって戦略骨格も決まるという。学生の皆さんが選んだ評価対象会社には、特化型事業を行う会社が多かった。特化型事業は、特定分野だけ規模の経済が効く事業で、戦略としては、共有コスト比率が高い領域に絞って規模を拡大すべきといわれている。

しかし、このような戦略のみでは、競争優位性を確保できないことは言うまでもない。最後は経営者の戦略。『ストーリーとして経営戦略』(東洋経済新報社、2012)で有名な一橋大学ビジネススクールの楠木健教授は「論理を超えた事業観」、「直感」、「論理的な確信」が、みさき投資の中神康議氏はコロンビア大学のZohar Goshen教授とエルサレム・ヘブライ大学のAssaf Hamdani教授の「Corporate Control and Idiosyncratic Vision」を参考に「極端な事業仮説」が、それぞれ必要という。この点、ヤマト運輸の小倉昌男氏が個人宅配事業に参入した際の戦略はあまりにも有名だろう。『小倉昌男の経営学』(日経BP、1999年)には、個人宅配事業ははじめはコストがかかり、収入も少ないため、赤字になるが、ネットワークができ、利用度が高まって収入が増えれば、利益がでるはずというトレードオフにあるサービスと利益に「サービスが先、利益が後」という優先順位をつけた仮説が成功をおさめたことが生々しく描かれている。学生の皆さんが選んだ評価対象会社には、既に中期経営計画などで経営者の戦略は開示されている会社もあれば、そうでない会社もあった。経営者の戦略をそのままマネジメントケースとして採用する方、そして、その他に自ら仮説を構築し、立案する方もいた。もっとも、戦略的見通しという「ストーリー」を将来の事業予測という「数字」に表すのは簡単ではない。M&Aの局面であれば、評価対象会社から内部情報を取得できるため、売上や利益と相関があるバリュードライバーと経営者の戦略から将来の業績予測をするボトムアップアプローチが採用可能であるが、そうでない場合には、評価対象会社の業界や過去の業績や開示されている経営者の戦略から将来の業績を予測するトップダウンアプローチを採用せざるを得ない。学生の皆さんも苦労されていたが、中には、両アプローチを検証し、乖離していないことを確認していた方もいた。

次に、資本コストを推定し、継続価値と企業価値、そして株式価値を算定する。これらについて、私もコメントさせていただいたが、類似会社の選定方法、予測期間の長さ、継続価値の永久成長率、事業価値と継続価値のバランス、金利上昇の影響、ベータの選定方法、余剰現預金の事業性、コントロールプレミアムとディスカウントなど、個々の数値を漫然とインプットするのではなく、数値の理論的な考え方を理解した上で、評価対象会社に当てはめなければならないことが多い。学生の皆さんも苦労されていた。これらの考え方は『バリュエーションの理論と実務』でも触れているため、ご一読いただきたいが、学生の皆さんからは、マッキンゼー・アンド・カンパニーの『企業価値評価(上)』(第6版、ダイヤモンド社、2016年)の影響を受けたと思われるコメントが多かった。たしかによくできた本であるが、アメリカの会社と日本の会社では、株式市場もインダストリー・エコノミクスも異なるため、本の内容をそのままつまみ食い(cherry picking)するのは注意が必要である。もっともこれは、日本企業を対象としたバリュエーション関連書籍が充実していない証左ともいえる。

最後は、株式価値と株価に乖離がある場合には、その乖離を是正するための提案を行う。企業価値は、キャッシュフローとWACCに分解され、キャッシュフローはROICと成長率に分解されるため、企業価値を向上させるためには、利益を高める、実効税率を下げる、利益を高めるための適切な固定資産投資を行う、運転資本を適切に管理する、WACCを下げることがセオリー。社会人学生の皆さんも理論株価の分析結果に基づいて、ユニークな提案をされており、ゲストで参加されていた事業会社の経営企画部の方も関心されていた。その事業会社の経営企画部の方のコメントを咀嚼し、印象に残ったことは、ROICを向上するセオリーは当然理解しているものの、それを組織やその現場で実行することは必ずしも簡単ではない(血の滲むような努力をされている)こと、そして、レバレッジの水準は事業特性のみならず、経営者の戦略が色濃く反映されていること。

講義終了後、担当教官から、以下のようなコメントがあった。

「現場の方は外野の我々が想像もつかないくらいに悩み苦しみ、そして少しでも会社を良くしようと日々考えておられるということを忘れてはならない。キャッシュフローを機械的に数値に落とし込むだけの作業屋にならないようにしないと。」

気づきが多い時間であった。

p.s. 仕事は必ずしも理論や実証どおりには進まず、組織はいつの間にか似た者同士の集団となる。仕事とは異なるコミュニティで、一心不乱に理論や実証を探求したり、異業種の方と議論できる社会人大学院は、今の時代にこそ通う価値がある。そう改めて感じた。

フィデューシャリーアドバイザーズ株式会社 吉村一男

Commentary

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