日本の買収防衛法理から示唆されること

新生銀行の取締役会のがSBIの敵対的TOBに「中立」の意見を表明し、買収防衛策を株主総会に諮ることも断念した。これで買収防衛策は発動されないため、司法の判断を仰ぐこともない。もし買収防衛策が発動された場合、司法はどのような判断をしただろうか。

コメンタリー「米国で買収防衛策が認められる基準」で触れたとおり、米国では、取締役会の買収防衛策自体の正当性が基準となっている。一方、日本では、企業価値基準という考え方がある。これは2005年に企業価値研究会が公表した「企業価値報告書~公正な企業社会のルール形成に向けた提案~」の考え方である。そこでは「企業価値を向上させる買収は望ましく、そうでない買収は望ましくない」と考えている。これは2019年に経済産業省が公表した「公正なM&Aの在り方に関する指針-企業価値の向上と株主利益の確保に向けて-」にも踏襲されている。ここでは、「M&A を行う上での尊重されるべき原則」として、「望ましい M&A か否かは、企業価値を向上させるか否かを基準に判断されるべきである」と記載されている(2.3)。

では、これらでいう「企業価値」とは何だろうか。それは必ずしも明らかではない。2005年の研究会に参加したある委員が「企業価値の定義が不明確なまま議論が展開された」と述べていた。もっとも、コーポレート・ファイナンス理論であれ、M&A実務であれ、企業価値は、将来に創出されるエコノミック・プロフィットを現在価値に割り引いた値であることは疑いの余地がない。そして、ROICがWACCを上回っていれば企業価値は向上し、下回っていれば企業価値はき損される。すなわち、企業価値はROIC、成長率、WACCの3つの要素で決定される。

しかし、この企業価値を法律の専門家であり、ファイナンスの専門家でない裁判所が判断できるわけがない。そこで、コメンタリー「最強の買収防衛策」で触れたとおり、最高裁は、原則として「株主」が判断し、判断の正当性を失わせるような重大な瑕疵がある場合には、「裁判所」も介入するという枠組みとなっている。

個人的には、司法判断の枠組みには、企業価値という基準を設けず、取締役会の買収防衛策自体の正当性を基準にしたほうがコーポレーション・ファイナンスの理論(エージェンシー・コスト)からすっきりすると思われるが、それはさておき、このような考え方から東京機械事件をみると、裁判所は「MOM」や「強圧性」の議論から「アジアインベストメント等が東京機械製作所の企業価値を向上することができない」と考えていたかもしれない。一方、新生銀行の買収防衛策はどう判断したか。たらればの世界であるし、株主は新生銀行の買収防衛策を承認しなかったと思われるが、裁判所は「SBIが新生銀行の企業価値を向上することができる」と考えていたかもしれない(SBIが過去に買収した同業の株価に鑑みると、新生銀行の企業価値を向上するのは未知数であるが・・・)。

買収者であれ、取締役会であれ、これら一連のケースから学ぶべきことは、企業価値を向上できるか否か。そのためには常に、ROIC、成長率、WACCのいずれに貢献するか考えなければならない。 

フィデューシャリーアドバイザーズ株式会社 吉村一男

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